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1月21日 に掲載された記事

 阪神・淡路大震災を伝える「震災モニュメント」が、国内外でこれまでに292カ所になったことが、神戸市のNPO法人の調査で分かった。東日本大震災では過去の津波到達地点を示した石碑が、命を救ったケースもあったが、阪神・淡路では慰霊の意味合いが強い。同法人は「災害の実態を具体的に伝え、教訓を継承しないといけない」と話し、加筆などの協力を呼び掛けている。

1月18日 に掲載された記事

 大手前大(西宮市)と同短大(伊丹市)の学生たちが、阪神・淡路大震災後に学内であった復興イベントを基に、手作りしたミュージカル「あの空をこえて」を17日、尼崎市のピッコロシアターで上演した。被災しながらも「数え切れない奇跡の上に生きている」というメッセージを発信。2回公演で計約800人が訪れ、熱演に見入った。

1月18日 に掲載された記事

 神戸出身のシンガー・ソングライター平松愛理さんが17日、阪神・淡路大震災復興支援ライブを神戸市中央区の新神戸オリエンタル劇場で開いた。ステージでは東日本大震災被災地への思いを込めて「神戸の街が美しくすこやかで希望に満ちあふれることが、東北の皆さんを元気づけると思う」と語り、19曲を熱唱した。

1月18日 に掲載された記事

 神戸大の六甲台キャンパス(神戸市灘区)と、深江キャンパス(同市東灘区)で17日、阪神・淡路大震災で亡くなった学生らの追悼式典が催された。遺族や大学関係者らが慰霊碑に花を手向け、亡きわが子や学友たちをしのんだ。

1月18日 に掲載された記事

 阪神・淡路大震災から17年がたった。被災地は17日、ろうそくの灯(あか)りを取り囲むように、深い祈りに包まれた。目を閉じると、いつでも「あの日」に戻るけれど、踏み出す一歩は未来へとつながる。夫を亡くした神戸の女性は、同じ悲しみを抱える東北の女性を支えようと誓う。祈りは阪神・淡路から東日本へ。絆のリレーをつなごう。次世代へ語り継ごう。亡き人を、傷ついた街を心に刻みながら。

1月18日 に掲載された記事

 阪神・淡路大震災で母サヨ子さん=当時(65)=を亡くした淡路市石田の元会社員片山秀和さん(57)は、昨年12月、父寛さん(86)をみとった。心の穴を埋めようと、父子で支え合った17年間だった。17日は参列者の少ない昼間を選び、淡路市の北淡震災記念公園を訪れた。慰霊碑に刻まれた母の名前をそっと確かめ「天国でお父さんと仲良く暮らしてな」と話し掛けた。

1月18日 に掲載された記事

 阪神・淡路大震災から丸17年を迎えた17日、被災地では多くの企業が防災訓練や関連行事を実施。地域経済が危機にひんした「あの日」を思い出し、防災の大切さとともに、経済再生への思いを新たにした。

1月17日 に掲載された記事

 死者6434人、行方不明者3人を出した阪神・淡路大震災は17日、発生から丸17年を迎えた。地震が発生した午前5時46分に合わせ、被災各地で追悼行事が行われ、震災犠牲者をしのんだ。

1月16日 に掲載された記事

 阪神・淡路大震災から丸17年を迎えるのを前に、東日本大震災の被災者が支援団体などの招きで続々と兵庫県入りしている。15日は宮城県気仙沼市の中学生が、震災被害の大きかった神戸市長田区などを回った。

1月15日 に掲載された記事

 阪神・淡路大震災で自宅を失うなどして兵庫県外へ転出した人のうち、少なくとも78人が現在も帰郷の希望を捨てきれず、公営住宅の募集情報などを伝える県の支援制度に登録していることが分かった。年齢を重ね、家族が減るなど自身を取り巻く環境が変化した被災者がほとんど。帰郷をためらう人や、せっかく戻れても17年前の暮らしを取り戻すのは容易でなくなっている。

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