1月13日 に掲載された記事

 サッカー日本代表の香川真司選手(22)=ドイツ・ドルトムント=が、神戸新聞社の単独インタビューに応じ、発生から17年を迎える阪神・淡路大震災の記憶や、東日本大震災の被災地への思いを語った。神戸市垂水区出身の香川選手は5歳のときに阪神・淡路大震災を経験し、中学から5年間を過ごした仙台市は東日本大震災の傷痕がまだ生々しい。二つの震災被災地をつなぐ存在として、「仙台も、復興した神戸のように素晴らしい街を築いてほしい。復興に向かう歩みの中で、僕も力になりたい」と話した。

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▲サンタクロースに扮(ふん)し、被災したファンに笑顔を見せる香川真司選手=2011年12月23日午後、仙台市のユアテックスタジアム仙台(撮影・大山伸一郎)


 サッカー日本代表の香川真司選手(22)=ドイツ・ドルトムント=が、神戸新聞社の単独インタビューに応じ、発生から17年を迎える阪神・淡路大震災の記憶や、東日本大震災の被災地への思いを語った。神戸市垂水区出身の香川選手は5歳のときに阪神・淡路大震災を経験し、中学から5年間を過ごした仙台市は東日本大震災の傷痕がまだ生々しい。二つの震災被災地をつなぐ存在として、「仙台も、復興した神戸のように素晴らしい街を築いてほしい。復興に向かう歩みの中で、僕も力になりたい」と話した。

(山本哲志、大山伸一郎)


 2011年3月11日。香川選手は横浜市にいた。同年1月のアジアカップで右足小指を骨折。治療のため、ドイツからシーズン途中の帰国を余儀なくされていた。


 「タクシーに乗っていたんだけど、非常に強い揺れを感じた」


【そのとき】


 その瞬間、17年前のかすかな記憶がよみがえった。阪神・淡路大震災に遭ったのは5歳のとき。神戸市垂水区の自宅マンションで寝ていたところに激震が襲った。


 「お父さんがタンスが倒れないよう、必死に押さえていてくれたことを覚えている。(震災直後は断水になり)マンションの下までバケツを持って水をもらいにいったり、お風呂を使わせてもらったりした」


 その年の春、神戸市立乙木(おとぎ)小学校に入学し、サッカーを始めた。当時の香川選手の記憶に強烈に残っているのは、阪神・淡路大震災から半年後の1995年7月、同小学校を訪れたサッカー元日本代表FWの三浦知良選手(現横浜FC)の姿だ。サングラスと派手なスーツを着こなす「カズ」がまぶしかった。


 「今もスターだけど、僕たちにとってはすごい存在。(抽選で)カズさんのサイン入りバッグが当たった。あのときは本当にうれしかった」


 「カズさんのようなJリーガーに」という夢を膨らませ、中学から仙台へサッカー留学した。


【あのまち】


 東日本大震災の発生直後、香川選手は仙台の友人が心配で電話をした。


 「電気やガスが止まる大変な状況にもかかわらず、友人から『サッカー頑張って』と逆に励まされた。そのとき、僕にできることはサッカーしかない、と思った。偶然だけれど、神戸で震災を経験して、中学、高校時代を過ごした仙台も震災に遭った。絶対に何か(行動を)起こさないといけないと思った」


 昨年12月23日、仙台市であった震災復興支援の慈善試合。香川選手は体調不良でプレーはできなかったが、副審を務めるなどして会場を盛り上げた。スタンドにいた子どもたちからは、盛んに声援を受けた。


 「本当にうれしかった。一生懸命僕の名前を呼んでくれて。みんなに応援されているなあ、と実感した。今の僕が、当時のカズさんのような存在になっているか、それは分からないけれど、海外を舞台に挑戦する選手として子どもたちに何らかの影響は与えられると思っている」


【これから】


 ドイツでプレーを続ける2012年は、神戸と仙台、二つのふるさとへの格別な思いを込めて臨む。


 「神戸は自分が生まれた街だし、やっぱり一番好きな街。仙台は、自分がここまで成長する中で本当に濃い時間を過ごさせてもらった街。もっと活躍してビッグな選手になって、もっとみんなに夢と希望を与えられる存在になりたい」


 神戸の復興の歩みは、東北の希望になると信じている。


 「神戸が復興して美しい街を築いているように、仙台にもまた素晴らしい街を築き上げてほしい。ただ、津波の影響が非常に大きくて、阪神・淡路以上の被害というのも感じている。日本全体で気に掛けないといけない。時間はかかると思うけれど、復興に向かって歩んでもらいたいし、その中で僕も力になりたい」

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