1月15日 に掲載された記事

 阪神・淡路大震災で自宅を失うなどして兵庫県外へ転出した人のうち、少なくとも78人が現在も帰郷の希望を捨てきれず、公営住宅の募集情報などを伝える県の支援制度に登録していることが分かった。年齢を重ね、家族が減るなど自身を取り巻く環境が変化した被災者がほとんど。帰郷をためらう人や、せっかく戻れても17年前の暮らしを取り戻すのは容易でなくなっている。

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▲尼崎で暮らしていたころの写真を懐かしく眺める多田さん=大阪府豊中市利倉西


 阪神・淡路大震災で自宅を失うなどして兵庫県外へ転出した人のうち、少なくとも78人が現在も帰郷の希望を捨てきれず、公営住宅の募集情報などを伝える県の支援制度に登録していることが分かった。年齢を重ね、家族が減るなど自身を取り巻く環境が変化した被災者がほとんど。帰郷をためらう人や、せっかく戻れても17年前の暮らしを取り戻すのは容易でなくなっている。(斉藤絵美)


 神戸市灘区の借家が全壊し、大阪府豊中市のハイツに避難した女性(73)は昨年、申し込み続けた同区内の神戸市営住宅が当たり、2月下旬に戻れることが決まった。うれしい半面、「夫が元気なうちに当選すれば一番よかったのに」と嘆く。夫は昨年4月、85歳で亡くなった。


 長い17年だった。同居していた息子の仕事の都合で、震災から1カ月で豊中に越した。夫婦とも熊本県出身。震災までの23年間暮らした自宅周辺の人たちが、唯一の友だちだった。豊中は地理が分からない。知り合いもできない。息子が結婚して家を出ると、夫としか会話しない日が続いた。


 灘区の公営住宅が募集される度に申し込んだが、当たらなかった。17年がかりの帰郷に女性は「神戸は海も山もあり、四季折々の空気がある。1人だけど楽しみですね」と話し、新たな一歩を踏み出す。


 一方、「長年住んだ町が道路挟んですぐ向こうなのに、こんなにも遠いなんて」と話すのは、豊中市のマンションで暮らす主婦多田幸枝さん(53)。尼崎市の借家が半壊。家主が取り壊しを決めたため、転居するしかなかった。近くの一軒家を借りて、夫(60)、母(82)と暮らしていたが、不景気で夫の給料が激減。震災から7年後、家賃の安い今のマンションに越した。


 公営住宅に応募し続け、これまでに2回だけ当選の知らせが入ったが、高齢の母のために希望した1階ではなかったなどで見送った。


 尼崎は、震災前に生後6カ月で亡くなった長男と一緒に暮らした思い出の場所。「戻りたい」気持ちは募るばかりだ。


【阪神・淡路大震災の県外居住被災者】 人口統計から約5万5千人が県外へ避難したとみられるが、実態は不明。県は希望者に公営住宅の募集資料を郵送し、近況を尋ねる支援を実施。支援を受けた893人のうち、県外での永住を決めたり死亡したりして633人が戻ることを諦めた。現在、26都道府県で78人が生活し、60代以上が55人と高齢化が進む。東日本大震災では現在、岩手、宮城、福島県から約7万人が県外へ避難している。

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