1月 6日 に掲載された記事

 阪神・淡路大震災で消防団の分団長だった父を亡くした西宮市の会社員播間公年(ひさとし)さん(44)が、父の後を継いで消防団員として活動を続けている。父の仲間と触れ合うことで、常に父の存在を感じ続けてきた。播間さんは「地域を愛した遺志を受け継ぎ、町を守っていく」と決意する。

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▲父をよく知る仲間とともに、消防団活動に取り組む播間公年さん(左から2人目)=西宮市樋之池町、同市消防団越木岩分団(撮影・佐々木彰尚)


 阪神・淡路大震災で消防団の分団長だった父を亡くした西宮市の会社員播間公年(ひさとし)さん(44)が、父の後を継いで消防団員として活動を続けている。父の仲間と触れ合うことで、常に父の存在を感じ続けてきた。播間さんは「地域を愛した遺志を受け継ぎ、町を守っていく」と決意する。


 家族4人で暮らしていた同市桜町の自宅は、震災で全壊。尼崎市の職場に向かっていた公年さんは無事だったが、1階で寝ていた父の重三郎さん=当時(64)=が倒壊した柱の下敷きになった。


 西宮市消防団の越木岩分団長だった父は、仲間から「重やん」「重ちゃん」と慕われ、地域の祭りでも世話役の一人だった。消防団員にはいつも「地域の代表。町にもっと愛情をかけろ」と熱く語っていた。


 長男の公年さんは重三郎さんを遺体安置所へ運んだ後、倒壊した自宅前でひとり泣いた。涙が止まらなかった。通りがかった知り合いに「お前が家族を支えていけ」と肩をたたかれた。


 葬儀には、消防団関係者や地域の人たち500人も参列してくれた。父が誇らしかった。


 震災後に結婚し、自宅を再建。2003年、消防団員に誘われた。「父が熱心だった消防団への恩返しになれば」とすぐに引き受けた。消火活動などの基本は、重三郎さんの仲間だったベテランの消防団員から教わった。「重やんの息子」とかわいがられ、思い出話をよく聞かされた。亡くなってから、近くに感じる機会が増えたように思う。


 生前の重三郎さんをよく知る現在の分団長岩野勝さん(72)も「火事があれば真っ先に団の詰め所へ来る。活動への思い入れの強さなどおやじによく似てきた」とほほ笑む。


 東日本大震災では、住民の避難誘導など活動中に死亡し、殉職と認定された消防団員は196人に上る。消防団活動は時に危険を伴う。「消防団は市民の代表だから、自分でも助けにいったと思う」と公年さん。「父が目指した『みんなが声を掛け合える町』にしていきたい」(斉藤絵美)

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