1月18日 に掲載された記事

 阪神・淡路大震災で母サヨ子さん=当時(65)=を亡くした淡路市石田の元会社員片山秀和さん(57)は、昨年12月、父寛さん(86)をみとった。心の穴を埋めようと、父子で支え合った17年間だった。17日は参列者の少ない昼間を選び、淡路市の北淡震災記念公園を訪れた。慰霊碑に刻まれた母の名前をそっと確かめ「天国でお父さんと仲良く暮らしてな」と話し掛けた。

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▲母を亡くした震災から17年間、支え合った父との思い出を語る片山秀和さん=淡路市石田(撮影・内田世紀)


 阪神・淡路大震災で母サヨ子さん=当時(65)=を亡くした淡路市石田の元会社員片山秀和さん(57)は、昨年12月、父寛さん(86)をみとった。心の穴を埋めようと、父子で支え合った17年間だった。17日は参列者の少ない昼間を選び、淡路市の北淡震災記念公園を訪れた。慰霊碑に刻まれた母の名前をそっと確かめ「天国でお父さんと仲良く暮らしてな」と話し掛けた。


 17年前、秀和さんは父母と妻、中学生の息子2人で暮らしていた。震災で母屋の天井の梁(はり)が落ち、サヨ子さんが下敷きになり亡くなった。隣で寝ていた寛さんは約3時間後に救出され、秀和さんらは自力で脱出した。


 母は銀行勤めで忙しい寛さんを愚痴一つ言わず支えた。秀和さんが20代で血液の病気を患った時も「大丈夫、すぐ良くなる」と励ました。家族が落ちこんでいると「気のせい、気のせい」と言ってくれた。母が毎晩付けていた日記は、震災前日も「家族全員、今日も無事に終わりました」と記されていた。


 2年後母屋を再建したが、昼間、一人家に残る寛さんは寂しがった。忙しい秀和さんに代わって孫2人が話し相手になり、2人が成人すると「一緒に酒を飲もう」と言って、仕事などの悩みも聞いていたという。


 「でも、母が生きていたら、もっとパワーがある家族になっていただろう」。秀和さんは、思わずにはいられない。


 寛さんは昨年12月6日、肺炎を患い病院で息を引き取った。神戸と伊丹から、かわいがっていた孫2人とひ孫らも駆け付けた。「17年間、よく頑張ったね」。秀和さんはねぎらいの言葉で父を見送った。


 サヨ子さんの仏壇の横に並ぶ寛さんの遺影に手を合わせるたびに、「今までありがとう」と語り掛ける。(敏蔭潤子)

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