12月28日 に掲載された記事

 小学3年のとき、阪神・淡路大震災で担任教諭を亡くしたことをきっかけに、教師を志した男性が今年、神戸市の中学校教諭に採用された。「あこがれの先生はもういない。先生の分まで、たくさんの子どもたちを教えていくから」。吹奏楽部の顧問となり、熱心な指導で11月の全日本マーチングコンテストの金賞に導いた。震災を知らない世代に命の尊さを伝えたい。あこがれの先生への歩みは始まったばかりだ。

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▲吹奏楽部を指導する濱田教諭=神戸市立有馬中学校


 小学3年のとき、阪神・淡路大震災で担任教諭を亡くしたことをきっかけに、教師を志した男性が今年、神戸市の中学校教諭に採用された。「あこがれの先生はもういない。先生の分まで、たくさんの子どもたちを教えていくから」。吹奏楽部の顧問となり、熱心な指導で11月の全日本マーチングコンテストの金賞に導いた。震災を知らない世代に命の尊さを伝えたい。あこがれの先生への歩みは始まったばかりだ。(上田勇紀)


 4月から神戸市北区の市立有馬中学校に赴任した濱田廣矩(ひろのり)教諭(25)。東灘区の市立福池小学校3年のときに震災を経験、当時の担任の吉岡千恵美先生=当時(26)=が亡くなった。大好きな先生だった。結婚したばかりで新婚旅行の話も聞かせてくれた。


 震災で濱田さんの自宅は全壊。尼崎市の親戚の家に移り、生活が少し落ち着いてきたころ、母親から「吉岡先生が亡くなった」と聞いた。「信じられへん」。濱田さんは泣いて繰り返した。


 後日、母親と一緒に灘区のJR六甲道駅近くを訪れ、全壊した吉岡先生のマンションの跡地に立った。広がるがれきを見ながら先生の最後の授業を思い出した。国語の時間のことだ。先生が詩の最後の一節を読んだ。「バイバイ」


 「あれで先生とお別れしたのかなあ」。そう思った濱田さんは手を合わせ「ありがとうございました」と頭を下げた。


 その後、日を追って濱田さんの心に「吉岡先生みたいになりたい」という気持ちがわき上がってきた。「いつか、あんなふうにずっと記憶に残るような先生に」。濱田さんの将来の夢が決まった。


 中学、高校と吹奏楽部で活動し、岡山県のくらしき作陽大学音楽学部を卒業。昨年秋、3度目の採用試験で神戸市教育委員会から合格通知をもらった。


 有馬中学校では2年を担任し、強豪の吹奏楽部の顧問を前任者から引き継いだ。「いまここにいるのは吉岡先生のおかげ。あきらめなければ夢はかなうと教えてくれた」と濱田さん。来年1月17日は生徒たちに吉岡先生のことを話そうと考えている。「震災を伝えていく。それは先生が僕に託したことだ」

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