こちらは2011年に行われた展覧会のページです。
2016年7月16日から、神戸ゆかりの美術館で開催される
「山本二三展リターンズ」については、下記のサイトをご覧ください。
http://www7.kobe-np.co.jp/blog/nizo-returns/
The World of Yamamoto Nizo
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きょうは、待ちに待った「山本二三展」初日。会場では14時から、ご本人を迎えての講演会が行われ、二三さんのふるさとや作品への思い、スタジオジブリの制作現場など、貴重なお話が次々に飛び出しました。前編では、二三さんと自然の関係についてのお話をまとめました。

 
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講演会のテーマは、
「師は自然 ~私が背景画を続けてこられた理由」。
お話は、二三さんが中学生まで生まれ育った
長崎県・五島列島から始まりました。
 
農業を営んでいた実家のお手伝いを
よくさせられたという二三さん。
農作業中に熱中症にかかり、
サツマイモの畝に倒れたこともあるそうですが、
そのときお父さまには
「百姓に向いていない」と殴られたとか...。
そんな苦しい体験も笑い話に変えて
おもしろおかしく話す語り口に、
会場は終始なごやかなムードです。
  
 
「学校が逃げ場だった」というくらい
二三少年にとってつらかった農業の経験。
しかし、豊かな自然にふれあっていたこの経験は、
美術監督となった後に生きてくることになります。
たとえば、「火垂るの墓」で描いた「縁側」。
 
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戦時中は、こうして庭に作物を植えるのが一般的だったそうで、
二三さんいわく、"農業の経験がいちばん役にたったシーン"。
「トマトとか、スイカとか、見なくても描けましたから」。
本物らしく、どこか懐かしくてあたたかい、
二三さんの描く風景は、
自然へのまなざしが色濃く表れているように思いました。
 
この「火垂るの墓」は、二三さんにとって忘れられない作品。
ピクチャーハンティングで西宮を訪れた際、
原作者の野坂昭如さんが当時を思い出し
「これ以上はこわくて行けない」と話したこと、
制作スタッフが「せっちゃん、ごめんね」と言いながら
ごはんを食べたこと...。
二三さん自らも泣きながら作ったといい、
「この作品が終わったら、死んでもいいと思った」。
それくらい力を注いだ作品だそうです。
 
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▲「火垂るの墓」 裏通り
  
焼夷弾が落ちてくるシーンや疎開先など、
まち並みを描いたたくさんのシーンも、
念入りにピクチャーハンティングを行って描かれたもの。
「同じ日本でも、地域ごとに空気感や文化が違う。
特に民家は地域色が強く出るんです」。
 
 
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自然豊かなふるさとで過ごした少年時代や、
高校時代に学んだ建築の知識が、
いまのお仕事を縁の下から支えているのかもしれません。
「自然から学べば、何でもできる」
そう言われたのが、とても印象的でした。
 
 

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