きょうは、待ちに待った「山本二三展」初日。会場では14時から、ご本人を迎えての講演会が行われ、二三さんのふるさとや作品への思い、スタジオジブリの制作現場など、貴重なお話が次々に飛び出しました。前編では、二三さんと自然の関係についてのお話をまとめました。
講演会のテーマは、
「師は自然 ~私が背景画を続けてこられた理由」。
お話は、二三さんが中学生まで生まれ育った
長崎県・五島列島から始まりました。
農業を営んでいた実家のお手伝いを
よくさせられたという二三さん。
農作業中に熱中症にかかり、
サツマイモの畝に倒れたこともあるそうですが、
そのときお父さまには
「百姓に向いていない」と殴られたとか...。
そんな苦しい体験も笑い話に変えて
おもしろおかしく話す語り口に、
会場は終始なごやかなムードです。
「学校が逃げ場だった」というくらい
二三少年にとってつらかった農業の経験。
しかし、豊かな自然にふれあっていたこの経験は、
美術監督となった後に生きてくることになります。
たとえば、「火垂るの墓」で描いた「縁側」。
戦時中は、こうして庭に作物を植えるのが一般的だったそうで、
二三さんいわく、"農業の経験がいちばん役にたったシーン"。
「トマトとか、スイカとか、見なくても描けましたから」。
本物らしく、どこか懐かしくてあたたかい、
二三さんの描く風景は、
自然へのまなざしが色濃く表れているように思いました。
この「火垂るの墓」は、二三さんにとって忘れられない作品。
ピクチャーハンティングで西宮を訪れた際、
原作者の野坂昭如さんが当時を思い出し
「これ以上はこわくて行けない」と話したこと、
制作スタッフが「せっちゃん、ごめんね」と言いながら
ごはんを食べたこと...。
二三さん自らも泣きながら作ったといい、
「この作品が終わったら、死んでもいいと思った」。
それくらい力を注いだ作品だそうです。
▲「火垂るの墓」 裏通り
焼夷弾が落ちてくるシーンや疎開先など、
まち並みを描いたたくさんのシーンも、
念入りにピクチャーハンティングを行って描かれたもの。
「同じ日本でも、地域ごとに空気感や文化が違う。
特に民家は地域色が強く出るんです」。
自然豊かなふるさとで過ごした少年時代や、
高校時代に学んだ建築の知識が、
いまのお仕事を縁の下から支えているのかもしれません。
「自然から学べば、何でもできる」
そう言われたのが、とても印象的でした。