戦時中の神戸・西宮が舞台となった「火垂るの墓」。この作品が見る者に衝撃をもって迫ってくるのは、内容もさることながら、現実味あふれる美術によるところも大きいと思います。今回は、そんな美術の舞台となったロケ地を巡り、紹介します。前編では、神戸市東灘区の御影を中心に紹介します。
「火垂るの墓」は、第二次世界大戦のさなかを生きた、
14歳の清太と4歳の節子の兄妹の姿を描いた作品。
まずは、物語の冒頭で、
衰弱した清太が座り込んでいるシーンですが、
人が行きかうこの場所はJR三ノ宮駅のコンコースです。
上の写真は現在のようすですが、
建物はきれいになっているものの、
天井のアーチや円くどっしりとした柱など
当時の面影を感じることができます。
会場に展示している「駅」(作品番号56)と
見比べてみるとおもしろいかと思います。
清太と節子の家があるのは、御影という設定。
空襲で焼け野原となったまちに
ぽつんと残っていた建物が御影公会堂であることは、
清太のセリフでも触れられています。
その御影公会堂は、現在でも
当時の姿をとどめています。
物語に出てきた二本松を特定することはできませんが、
周辺には松の木がたくさん生えています。
公会堂の裏は石屋川の河川敷。
空襲を逃れるため、清太が節子をおぶって、
逃げこんだ場所です。
脇には、「火垂るの墓」の石碑があります。
御影駅の東にある御影小学校は、
空襲で重傷を負った母が運び込まれた場所と
されています。
自宅の庭から堀りおこした食糧を
清太がリアカーにのせて運んだ大きな通りは、
現在の国道2号線のようです。
このように、たくさんのゆかりの地が残る御影駅周辺。
同展では、この地を巡るイベント、
「親子で『火垂るの墓』ゆかりの地を歩こう」
も企画されています。
同イベントは8月18日(木)の10時~13時、
阪神御影駅から、説明を聴きながら
親子で「火垂るの墓」ゆかりの地を巡ります。
※要事前申し込み。8月8日締切。
詳しくは神戸市立博物館HPで