2012.03.01

大災害が起こったとき、時代を越えて人びとが生活してきた歴史や文化を救うことは、どのようにしたらできるのでしょうか。台風12号で被災した和歌山で、災害時の文化財救出を考えるフォーラムが開かれました。

もし大災害が起こったとき、まずは住民の命を救うことが優先されます。一方で、時代を越えて人びとが生活してきた歴史や文化を救うことは、どのようにしたらできるのでしょうか。災害時の文化財救出を考えるための公開フォーラム『地震・津波・洪水と文化財―台風12号被災資料保全活動の経験から―』が2月19日、和歌山市内の和歌山大学まちかどサテライトで開かれました。
 

▲和歌山大学まちかどサテライトで開かれたフォーラムの様子
 
主催に名を連ねる和歌山大学紀州経済史文化史研究所(以下「和大紀州研」)と歴史資料保全ネット・わかやま(以下「ネット・わかやま」)は、2011年9月の台風12号による洪水が起こってから、被災した地域の文化財救出を共に進めてきました。同フォーラムでは活動報告に加えて、神戸や東北からも研究者を招き、それぞれの災害時における経験や課題について話し合われました。
 
 
■ 文化財保全の課題が増えている時代に
 
 文化財を保全する上での問題とはなんでしょうか。日本では、ここ20年間に大規模な地震や水害が次々に起こっています。歴史資料ネットワーク代表で神戸大学大学院教授の奥村弘さんは「世界的に地球温暖化が進み、日本では高度経済成長期からバブル期にかけて大災害がなかったことから社会全体で油断が広がっていた」と指摘しました。
  

▲自治体合併の流れを説明する神戸大学大学院の奥村弘教授
 
 さらに日本社会における高齢化やコミュニティの解体も、地域の歴史や文化を継承していく上で大きな不安を招いています。奥村さんによれば、近世末の日本には8万余りの町村がありましたが、1889年の市制町村制実施、1953年からの大合併、そして平成大合併を経て今は1800を切るまでになったといいます。むやみな合併は、役所で記帳されていないような文化財の所在をよりわからなくすることを招きます。また災害後のコミュニティ変化も、地域の記憶が薄まる可能性があります。たとえば現在の神戸市灘区では、全人口のうち過半数を、1995年の阪神・淡路大震災後の入居者が占めているそうです。
 
 以上の課題が考えられるなか、文化財保全に向けて、政府ではどのような議論が進められてきたのでしょうか。2004年7月、内閣府による『災害から文化遺産と地域をまもる検討委員会』では、法律で規定された意味での文化財を超えて、より広範囲な「文化遺産」という捉え方を唱えています。ここでは未指定のものも含め、「地域の核となるようなもの」としています。また2007年10月の『文化審議会文化財分科会企画調査会報告書』では、さらに広い視野を持って文化財を考えようとしました。「文化財保護法に規定されている本来の文化財とは、指定などの措置がとられているか否かにかかわらず、歴史上又は芸術上などの価値が高い、あるいは人々の生活の理解のために必要なすべての文化的所産を指すものである」。
 
 
■ 大災害時における文化財保全活動の実際
 
 では実際に大災害で被災した文化財はどのように救われようとされ、またその救出プロセスから何を学びとれたのでしょうか。
 

▲台風12号による被害状況を説明するネット・わかやまの前田正明さん
 
 2011年9月2日から3日にかけて、台風12号は和歌山県に接近しました。それに伴う人的および物的被害は特に県の真ん中から南にかけて集中しており、行方不明者も合わせて60人近い犠牲者を出したほか、多くの建物に損壊や浸水の被害をもたらしました(フォーラム開会に先立ち、最も被害の大きかった那智勝浦町の植地篤延副町長から挨拶がありました)。
 
 フォーラムでネット・わかやまの各登壇者が口をそろえて課題に挙げていたのは、救済活動における初動の遅れです。準備会や全体会議を経て、ネット・わかやまが最初に被災資料の保全活動に着手できたのは、台風接近からほぼ1カ月となる9月30日でした。この間、洪水によって流された文書資料にはカビが発生したほか、アルバムに収められていた写真フィルムの表面が溶けるなど、状態の悪化につながりました。
 
 またこの時間経過は別の側面でも文化財保全に残念な結果をもたらします。有形の民俗資料、たとえば民具のように場所をとる文化財の場合、保管場所の確保が大きな問題となります。新宮市(旧熊野川町)の旧敷屋小学校では、木造校舎1階の床上約250センチまで浸水。NPO法人が熊野川町時代に借り受けて一室に保管していた民具資料80点が被災しました。結果的に、その資料は9月下旬から10月初旬にかけて、大型被災ゴミとして処分されることになります。
 

▲旧小学校の一室の様子を示すネット・わかやまの蘇理剛志さん。多くの資料はすでに処分されていた
 

▲処分の直前救われる資料もあった
 
 ネット・わかやまの蘇理剛志さんによれば、処分に至った理由として、まず旧熊野川町から新宮市へ合併した結果、未指定文化財の所管があいまいになったことがあります。この点は前述した奥村氏の講演でも指摘されていた問題です。さらに人命救助や住民支援が優先される災害直後の状況のなかで、NPO法人の管理者が市の教育委員会に連絡しものの指示がなかったことも処分を早めました。以上の被害状況をネット・わかやまで確認調査できたのは10月24日。時間経過による悪影響が、別の形で出てしまったといえます。
 
 一方で和歌山県日高郡日高町(旧中津村)にある中津郷土文化保存伝習館(以下「伝習館」)では、現場独自の判断が好結果を招いています。伝習館は船津尾の日高川沿いに立つ高床建物で、洪水により1階床上の70センチまでが浸水。フロア展示していた民具資料や一部の文書資料が水損しました。こちらでは状況を確認した管理者による素早い指示により、9月6日以降、町職員や3~5名のボランティアを動員して館内の泥出しや展示資料の運び出し、乾燥作業等がおこなわれました。床や壁面の洗浄、クレゾールによる消毒を終え、9月16日には資料の再収蔵にこぎつけたのです。
 
 今回のフォーラムでは東日本大震災における資料救済についても取り上げられました。東北学院大学の加藤幸治准教授によれば、津波被害に遭った大学博物館での資料レスキュー作業について、普段から博物館でしている展示品の保存業務と大きく変わらないといいます。大災害で混乱する非日常的な状況で、いかに日常的な作業体制を確保できるかが、資料救出の大きな分かれ道になると述べました。
 

▲東日本大震災で被災した大学博物館の様子を説明する東北学院大学の加藤幸治准教授。津波に乗った瓦礫が壁を破って流入した
 
加藤准教授はまた台風12号の時にもレスキュー活動に参加し、その際には大学博物館での経験から現場で迅速に対応することができたと語ります。「我々は知識があるつもりでも、実際に活動しようとなるとなかなかスムーズにいかないもの。だからこそ経験を持っていることの違いは大きい」とのことでした。
 
 
■ 救出作業をするにあたって
 
 実際に被災した資料の救済作業にあたる際、現場ではどういった点が重要になるのでしょうか。
 
 『被災資料の救出と保全修復』について報告したネット・わかやまの藤隆宏さんは、常にその資料が持ち主の手に戻された際にあるべき状態となるよう心掛けていると話していました。那智勝浦町で卒業アルバムや文集等の「思い出品」を保全修復するにあたり、「持ち主にとって気持ちが悪いと思われないような状態で返す」という目標を立てたそうです。
 

▲大学院生による実際のクリーニング作業風景を映すネット・わかやまの藤隆宏さん。健康上の配慮もありマスクと軍手は必需品
 
また清掃作業に多くの大学院生が参加するため、「素人でもできる範囲」の作業内容を任せることに努めました。普段すぐに手に入るハケや歯ブラシ、キッチンペーパー等を活用し、アルコール消毒や乾燥にクリーニング(泥落とし)、和紙を利用した簡単な補修などをおこないました。今日までに冊子等23点を那智勝浦町に返却、また持ち主不明な資料約2300点を那智勝浦町立市野々小学校に一定期間展示するなどして成果をあげています。フォーラムではこの修復作業に参加した大学院生がスピーチしました。塩崎誠さんは、「活動に関われてよかった。思い出品が戻った時の持ち主の表情が何よりも励み。将来かならず起こるといわれる南海地震に向けて、活動が広まっていってほしい」と話しました。
 
 フォーラム途中の休憩時間では、歴史資料ネットワーク副代表で近大姫路大学講師の松下正和さんが、水に濡れて汚れた史料の洗浄や乾燥を実演しました。
 

▲歴史資料ネットワーク副代表の松下正和さん
 

▲実演風景。網戸に挟んで洗った古文書を水泳用のペーパータオルでポンポンとたたく
 
「いつでも・どこでも・だれにでも」をモットーに、普段から家庭にあるものを活用します。水を含み5.5グラムから11.5グラムまで重くなった文書を、新聞紙やキッチンペーパーではさみ吸水すると、8.5グラムまで落とすことができました。また汚れた文書は網戸の切れ端で保護しながら水に浸し、歯ブラシでこすり落としていくと、表面がみるみるうちに元の色を取り戻していきます。松下さんは写真やフィルムのネガの取り扱いについても説明し、「アルバムのなかで表面が溶けてへばりつくなど対処が難しい。元通りに修復できないのが辛いところだが、代わりにデジタルデータとして残す方法をとることがある」といいます。実演の最後には、「知識がなくても、専門家に相談すれば水濡れ文書を修復できるかもしれない。とにかく捨てないで、まずは相談を」と参加者に呼びかけました。
 
 
■ 来るべき大災害に備える
 
 ネット・わかやまが台風12号による被災地域の住民に向けた告示『水に濡れた紙・写真の保全・修復について、ご相談承ります』には、「歴史資料」の範囲について以下のように記しています。
 
・古文書(和紙に墨の崩した文字で書かれた帳面や書類など)
・古い本(和綴じの書籍など)
・明治・大正・昭和の古い本・雑誌・新聞・写真・アルバム・絵・記録(手紙や日記など・ノート)
・掛け軸などの書や絵画、古いふすまや屏風(古文書が下貼りに使われている場合がよくあります)
・自治会・農会などの団体の記録や資料
・古い食器・着物、農具、機織りや養蚕の道具など、物づくりや生活のための民具・道具
 
 これらはまさに、その土地に人びとが生活を積み重ねてきた歴史や文化を伝える張本人といえるのではないでしょうか。神戸大学の吉村教授は講演のなかで、「現在が過去からの延長上にあるということ、そして未来へとつながっていくことを認めなければならない」と話しました。そこに人が住むかぎり、地域の歴史があります。文化財を保全していくためには、住民が地域にある歴史や文化の大切さを理解し、一つひとつの文化財が持つ、地域にとっての価値を認めていかなければならないでしょう。月日が流れて資料の所在が曖昧になっていく事例や、管理者が被災ゴミとして一斉に処分してしまうケースも、根本にある課題は同じではないでしょうか。
 
 大学院生の塩崎さんが言ったように、この先必ず大災害がやってきます。その時、救われた人命の手元に地域の歴史や思い出が少しでも多く残されるためには、阪神・淡路大震災や東日本大震災、台風12号といった過去の経験を活かして備えなければなりません。一人ひとりの地道な取り組みがやがて住民レベルで広がっていくため、文化財保全のネットワークが果たせる役割は大きいといえるでしょう。

(高尾 淳)
 

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