「あの日」から17年が経ちました。神戸市役所南側の東遊園地には早朝からたくさんの人が集まり、「阪神・淡路大震災1.17のつどい」が行われました。朝のりんとした空気の中、地震発生時刻の5時46分に合わせて黙とうが行われると、長い、静かな時間が会場を包みました。
「あの日」から17年が経ちました。
神戸市役所南側の東遊園地には
早朝からたくさんの人が集まり、
「阪神・淡路大震災1.17のつどい」が行われました。
朝のりんとした空気の中、
地震発生時刻の5時46分に合わせて黙とうが行われると、
長い、静かな時間が会場を包みました。
▲竹筒には「夢」「ありがとう」などの言葉が並んだ
写真を抱える遺族、涙を浮かべる女性、
こどもたちと寄り添う母親。
手を合わせた人それぞれに、
十人十色の思いが交錯していたことでしょう。
亡くなった大切な人のこと、つらかった時間、
人への感謝の気持ち、新たな決意。
あの日―、
当時まだ小学生で、神戸市外に住んでいた私は、
はじめて経験する大きな揺れで目を覚ましました。
何が起こったのかわかりませんでした。
父がつけたテレビに映った、
真っ赤な炎に包まれる長田のまちと
横倒しになった阪神高速道路の映像は幼心にも衝撃で、
しっかりと脳裏に焼きついていて今も離れません。
私が神戸に住むようになってからの8年のあいだにも、
まちはずいぶん変わりました。
17年前の惨状を感じさせないほど"きれい"になりました。
それでも、各地で行われる「1.17のつどい」には
早朝からたくさんの人が訪れています。
親に連れられた、震災を知らないこどもたちまで。
まちから震災の面影がなくなろうとも
人の記憶から「あの日」が消えることはない。
この日、ゆらめく炎に手を合わせるたくさんの背中を見ると、
いつも実感するのです。
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