震災16年ブログ|神戸新聞

 

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神戸新聞編集局の震災ブログにお越しいただき、ありがとうございます。

未曾有の被害をもたらした阪神・淡路大震災は2011年1月17日、
発生から丸16年を迎えます。

ブログでは昨年に続いて、編集局の震災報道をはじめ、
兵庫県内各地で行われる関連行事やイベントなどを
1月末までの期間限定で紹介します。

あわせて、震災に関するアンケートや写真集、動画なども予定していますので、
ご意見・感想など気軽にお寄せください。

なお、コメントは承認制としております。

よろしくお願いいたします。

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コメント(13)

ippo248 | 2010年12月23日 17:49

こんばんわ、初めまして、
今年もあと僅か、年が明けると17日が又、やって来ます。
風化させてはならない教訓、なのに時間は容赦なく過ぎ去ってゆきます。
防災ブログ、もう何年になるのでしょうか?
仲間も一人減り、二人減り、タダでさえ盛り上がりに欠ける防災、何度ももう止めようか?と考えました。

でも、止めても1月17日は忘れる訳にはいきません。
自主防災組織と防災ボランティアの隙間、自助の世界、自分が何が出来るのか?永遠の課題で詰まっています。

湯の沸かし方
何が何でも赤ちゃんの為に湯を沸かす、これが防災の入り口でした。でも実際は避難所では火は使えない、避難所に行きさえすれば備えは要らない、問題点を解決する窓口も助言もないんですね。
防災と一括りにすると分野が多岐に渡り、より解り難くなります。実際の問題点はどうであり、その問題はどう克服されたのか?機会がありましたらご提示頂ければ幸いです。

http://pub.ne.jp/ippo248/

奥中良三 | 2010年12月24日 23:28

 阪神淡路大震災に、こだわることは理解できます。しかし、いま防災に重点を置かれるならば、更なる弱者や、かつてその地であった、空襲や水害、また必ず来る津波に、考えを及ぼす必要もあるのではないでしょうか。
 提示された克服よりも、ご自身の体験された克服できなかった事に重点を置かれた方がいいと思います。その点にこそ、解決への近道があると思います。

山本和代 | 2010年12月25日 06:11

このブログができてうれしいです。
16年もすぎて、記憶が薄れる中、でもココロの芯には
ずっとある想い。
今は神戸を離れていますが、気持ちは変わりません。
そういう人は多いのでは?

キモチヲツナグ・オモイヲヨセル

とても小さな一人一人の想いが集まったら、
うれしいです。

そういった人たちをつないでいく
ブログになることをお祈りします。

山西一夫 | 2010年12月25日 12:01

山本和代さんコメントにある
> 16年もすぎて、記憶が薄れる中、でもココロの芯には
ずっとある想い。
・・・とのことに強く共感します。
  多くの人々の気持ちを代弁しているものとも思えます。
実際、私自身の胸中の奥にも、そのようなものがある、と
改めて気づかされたものでした。
多少の文学趣味のある私ですが、
「やはり書かねば!」との思いを改めて持ったものです。
(読者文芸欄に時折投稿もしており・・・)
有難うございます。

kobe1995117 | 2010年12月26日 23:20

わたくしが作っている神戸のブログに、よく神戸新聞社のドメインでアクセスが来ます。

神戸ルミナリエはいうに及ばす、東遊園地での「1・17のつどい」のスタッフ(ボランティア)を名乗る人達でさえも、いまやインターネットで募り、誰が誰だかわからない状況で、事件でも起きたときにどうするんだと考える事もあります。

「1.17のつどい」は、わたしは性善説で成り立っているものだと思います。

でも、去年にインターネットのSNSでHANDSの交流テントで何時ごろに待っているから来てくださいといわれて、その時間に行っても誰一人来ませんでした。

彼らにとって、「1・17のつどい」に参加しメディアの注目を集める事が先で、震災の犠牲者の供養や被災地の復興の今後の在り方を考える事は二の次・三の次なのでしょうか?

それが、ある新聞社がご寵愛の、大学生を中心としたボランティアグループでした。

わたくしは、事前の約束さえも守れない様な人物が1・17のつどいのスタッフを名乗る資格は無いと考えています。

また、メディア(特に新聞社のカメラ)も若い女性や車いすの方など、カメラを向ける相手が偏っていないかと感じる事もあります。

「阪神淡路大震災の風化は、神戸から、東遊園地から始まって来ている」。

わたしの持論です。

山元梯子 | 2010年12月30日 16:06

震災・・・私は芦屋で地震を体験・主人は海外へ仕事に3人の子供と母子家庭でした・地震を知りすぐマニラからかえつてくれました・・・我が家は被害はなくよかつたなとおもつています・芦屋も酷い所は凄いです・息子娘の友達はなくなつて方も・・・・ホントに大変でした・午前中は近くに水くみに・交通機関も大変・です・・長男大学試験二男高校受験娘6年生・大変でした・主人は西宮北口まで歩いて会社へ・そのような生活をおくつてました・突然の天災は怖いです・

山西一夫 | 2011年1月18日 17:56

17日の翌日の今日、久しぶりに思い出して、このブログを見に来ましたが
投稿数が増えていないのを意外に思いました。
16年も経つと、やはり・・・ ということなのか?
それとも、もう、いちいち思い出したくないという人もあってのことなのだろうか?
~と思ったりします。

また、いろいろと思うところの多い人は、インターネットを使用したりする余裕が
ないということでもあるのかもしれません。

それにブログの主宰者の応答が殆どないのも、ここが盛り上がらない理由の
ひとつではないかという気がしますが、どうでしょうか?

(私などがよく出入りしている個人のブログでは、
 ごくつまらないヒマなハナシにも主宰者がいちいち丁寧に返事を書いて
 くれるので、思わぬ展開があったり等しています。)


「芦屋で震災を経験」という方(山元さん)のコメントがありましたが、
芦屋と言えば、当時JRで大阪方面に通勤していた私には、
芦屋-三宮間を代替バス乗車した時のことがいまだに思い出されます。

帰宅時は芦屋駅の南少々の所にあった乗車場所で長い行列を作って
バスを待ったものでしたが、周囲は真っ暗で、壊れて無人の住宅を
横に見ながら寒い中を黙々と待ったものでした。
(今、思い返してみても、文字通り悪夢の中のようなことでした。)
・・・実にウソのような状況の中にいたのでした。

その他、朝方には芦屋駅に入ろうとしている時、上空を報道へりが
近づくのを苦々しく見上げたりのことも・・・。

そのうち、JRが住吉駅まで通じた時には阪急御影駅との間を朝晩テクテク
歩いたのでした。(その阪急も長期間、三宮までは繋がらず…!)

こういうことは、もうすっかり忘れていたことでしたが、今ここで、
こうして思い出してみることも、それなりの意味があるのかもしれないと
思うところもあります。

大変な被害を受けられた方々に対して思いいたすべきところを
ほんの心ばかり噛みしめてみることにでもなれば… と思うのです。
(特に大した被害を受けなかった者として、です。)

・・・と、思っているうちに、芦屋の知人で亡くなった人のあったことを
 すっかり忘れていたことに気づき、大変申し訳ない気持ちがしました。
 (これを書いているうちに、今、思い出したような次第で。)

その方の名は東遊園地のモニュメントに名が刻まれないままになっていると
思われ、今だに気がかりでもあります。
(=現在のところ未確認で、よく知りませんが。=)

・・・その方の親族関係がどうなのか? 全く知ることもなく、
  考え様もないことではあるのですが。

このように、何年経とうとも解決つかないことが残っているということでも
あるのかもしれません。

そういえば、あの朝以来、水道が復旧するまで井戸水を提供してくださった
(係の人には長時間寒い中を冷たいホースを持ち続けていただき…!)
近所の風呂屋さんにも非常に感謝すべきところ
(=ほんとに大変有難いことでした!=)
その気持ちを示すヒマのないままとなっていることに気づいたりです。
(16年目にして、こういうことを思うかと我ながらあきれるような?)

<念のため、係の方へご連絡>
私の方では最近転居し、
(=震災で傷んだ自宅が住むのに限界になっていたため=)
それに伴ってプロバイダを変更したので、メールアドレスも変更ですが、
都合上、当面フリーメールのものを使用します。
(フリーメールであっても、決してイイカゲンなものではありませんので。)

なお、つい長文を書き連ねてしまい申し訳ありません。

ippo248さま | 2011年1月19日 11:05

ブログへのコメント、ありがとうございます。そして、返信が大変遅くなりましたこと、お許しください。

ippo248さまの防災ブログ、少しばかり拝見しました。1日、2日なんかでは全て見切れないところも、長年積み重ねてこられた証しであり、頭が下がります。

お尋ねの件、弊紙の過去の震災特集にヒントがあるかもしれません。ご覧いただけると幸いです。と同時に、震災取材の担当記者にも伝え、考えたいと思います。

◆神戸新聞震災特集◆
http://www.kobe-np.co.jp/sinsai/index.shtml

奥中良三さま | 2011年1月19日 11:12

ブログへのコメント、ありがとうございます。そして、返信が大変遅くなりましたこと、お許しください。

ご意見ありがとうございます。おっしゃる通りだと思います。弊紙では、阪神・淡路大震災をきっかけに震災報道を重点的に取り組んできましたが、当然ながら災害は地震だけではありません。

編集部内には災害特報班というグループを設け、国内外問わずさまざまな災害に焦点を当て、取材を進めております。いただいたご意見も特報班に伝えておきますね。

山本和代さま | 2011年1月19日 11:31

ブログへのコメント、ありがとうございます。そして、返信が大変遅くなりましたこと、お許しください。

心温まるメッセージに一同、励まされました。さまざまな理由で被災地を離れられた、離れざるをえなかった方々の思いは、ここで暮らし続けている私たちとはまた違うものであるのでしょうね。

おっしゃる通り、このブログが「一人ひとりの想いをつなぐ場にしなくては」と思います。ご期待にこたえられるよう、頑張ります。ありがとうございました。

山西一夫さま | 2011年1月19日 11:50

ブログへのコメント、ありがとうございます。そして、返信が大変遅くなりましたこと、お許しください。

"ココロの芯"は私も共感しました。「書かなければ」という想い、震災取材に携わる記者たちも1月17日を迎えるたび、心新たにすることです。

交通機関が不通の間、代替バスを待ち長い列を作ったことを思い出しました。あの時は待つことの苦痛とか、長距離を歩く疲れとか、そんなことは気にもならず淡々と過ごしていた気もします・・・。

ご指摘の件は、来年以降のブログ展開に生かしたいと思います。ありがとうございました。

kobe1995117さま | 2011年1月19日 11:57

ブログへのコメント、ありがとうございます。そして、返信が大変遅くなりましたこと、お許しください。

追悼行事に関して、また震災報道に関してもさまざまな見方があるのは、ごもっともです。いただいたご意見は、編集局でも共有させていただきますね。

山元梯子さま | 2011年1月19日 12:02

ブログへのコメント、ありがとうございます。そして、返信が大変遅くなりましたこと、お許しください。

芦屋で被災されたのですね。私は神戸・須磨で、幸いにも被害は少なかったのですが、その後の生活はいろいろと大変だったなと、山元さまのコメントを拝見して思い出しました。

私たち被災者はいつまでも忘れることはないでしょうが、現実は風化も進んでいるのだと思います。いつまでも語り続けること、語り継ぐことが、私たちにできることなのでしょうね。

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